第3章:首都に潜む「死角」~東京の在日米軍基地~
前口上で触れた通り、在日米軍の施設・区域の都道府県別面積を見ると、1位沖縄、2位青森、3位神奈川に次いで4番目に首都・東京の名前があがる。
都内にある施設は全部で8つ。このうち、本土から1200km離れた硫黄島にある「硫黄島通信所」と、第2章で取り上げた横田基地を除くと、我々のごく身近にひっそりと存在する施設ばかりである。
この章では、横田基地以外の都内(本土)の在日米軍基地・施設にフォーカスし、それらが担う役割について調べてみたい(特別なことわりがない限り、情報は東京都「米軍基地対策」または『東京の米軍基地』2014年度版から引いている)。
都内にある在日米軍基地・施設
東京の在日米軍基地・施設の概要は以下の通りである。
施設名 | 所在地 | 用途 | 面積 |
---|---|---|---|
赤坂プレスセンター | 港区 | 事務所(星条旗新聞社、宿舎、ヘリポート) | 26,937平方m |
横田飛行場 | 立川市、昭島市、福生市、武蔵村山市、羽村市、瑞穂町(埼玉県狭山市) | 飛行場(滑走路(3,350m×60m)、住宅、学校、事務所等) | 7,136,404平方m (埼玉県含め7,139,452平方m) |
府中通信施設 | 府中市 | 通信(事務所、通信施設) | 16,661平方m |
多摩サービス補助施設 | 多摩市、稲城市 | レクリエーション施設(ゴルフ場、キャンプ場等) | 1,957,190平方m |
大和田通信所 | 清瀬市(埼玉県新座市) | 通信(通信施設) | 247,267平方m (埼玉県含め1,196,481平方m) |
由木通信所 | 八王子市 | 通信(無線中継所) | 3,891平方m |
硫黄島通信所 | 小笠原村 | 通信(訓練施設) | 6,630,688平方m |
ニューサンノー米軍センター | 港区 | その他(宿舎) | 7,243平方m |
これら8つの基地・施設を次の5種類に分けてみた。
- 飛行場(横田、硫黄島:硫黄島通信所の実体は訓練施設であり滑走路が備わる)
- 通信施設(府中、大和田、由木)
- レクリエーション施設(多摩)
- 事務施設(赤坂)
- 宿泊施設(ニューサンノー)
「1」は“いわゆる基地”として一番イメージしやすく、「2」もアンテナなどのインフラ設備で分かりやすい。「3」はゴルフ場やキャンプ場など、米軍関係者向けの福利厚生施設である。
それでは「事務施設」とされる「赤坂プレスセンター」とはどんな施設なのか。
「宿泊施設」の「ニューサンノー米軍センター」には、いったい誰が泊まるというのか。
そんな素朴な疑問から入ってみることにした。
都会のど真ん中にある米軍基地返還問題
住所は港区六本木7丁目。
東京ミッドタウンと六本木ヒルズの狭間、黒川紀章が設計を手がけた波打つファサードが美しい国立新美術館の近くに、まるで「空き地」のような場所がある。
大都会にぽっかり空いた穴のようなこの空間は小高い丘の上にあり、人目につきにくい。隣接する都立青山公園から坂を登り近づいてみると、ようやく柵に囲まれたその場所を見渡すことができた。
柵の中に立つ、横田基地周辺でよく見かけた茶色地に白字で書かれた看板は、「U.S. Army Area 在日米陸軍地域 許可なき者立ち入り禁止 違反者は日本国法律により罰せられます」と忠告する。
ここは「赤坂プレスセンター」と呼ばれるれっきとした米軍施設の一部で、ミッドタウンとヒルズを近景とするこの空間は、米軍がヘリポートとして使用している。
またこのヘリポートの隣には、軍人向けのアメリカの新聞社「星条旗新聞社(Stars and Stripes)」や、宿舎、事務所などもある。
もともとここは、1889年(明治22年)に旧日本陸軍の第一師団歩兵第三駐屯地連隊が設置されるなど、軍隊と縁がある場所だったが、ご多分に洩れず戦後米軍に接収された歴史を持つ。
1961年(昭和36年)、目前に迫った東京オリンピックを契機とした道路建設事業として「環状3号線」の工事が決定。すると予定地内のこの米軍施設が問題となった。東京都は、東京防衛施設局を間に挟み、アメリカ側と交渉を重ねることになった。
ヘリポートの存在理由
長い期間協議を重ねた末、1983年(昭和58年)、日米安保条約の運用を任される「日米合同委員会」での合意を受け、都、東京防衛施設局、米軍の3者は協定を締結し、道路用地を都と米軍で共同使用することと、それまであった米軍ヘリポートを臨時ヘリポートに移設することが決まった。翌年には臨時ヘリポートが完成、その下をくぐる「六本木トンネル」は、1993年(平成5年)になってようやく開通した。
道路工事完了後には元のヘリポートを原状回復し、臨時とされたヘリポートは返還されるはずだったが、米軍は継続してそのヘリポートを使用している。都はアメリカ側に再三返還を要請しているが、2011年(平成23年)に一部が返されたものの、都心の一等地にこの米軍ヘリポートは居座り続けている。
アメリカにとってはこの施設、特にヘリポートは非常に使い勝手がいい。ここから直線距離にしてたった1.7km、車で10分もすればアメリカ大使館に着いてしまう至便の良さはなかなか手放せないのだろう。さらに同じ港区にある「ニューサンノー米軍センター」も至近にあるのだから尚更だ。
米軍基地とアメリカ大使館を結ぶ「動線」
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、著者の矢部宏治が問題とするのは、この赤坂プレスセンターのヘリポートを中継点とし、横田や厚木といった首都圏の米軍基地と、アメリカ大使館、ニューサンノー米軍センターらを結ぶ「動線」の存在である。
米軍基地は事実上の治外法権で、いつ誰が入国したか日本側が把握することはできない。秘密裏に上陸した米諜報部員がヘリで都心まで移動し日本中で活動を繰り広げ、それに対し日本政府が何の抗議もしないのはおかしい、と本書ではこうした主張がなされている。CIAの活動についての判断は私の手に余るところだが、少なくともそうした「秘密の道」を通ることは可能だろう。
さらにこの「動線」を支えるのが、東京の西側に広がる「横田空域」という米軍管理下の空域だ。1都9県にまたがる広大なエリアの航空管制権は、実は日本にはない。死角をテーマにした本稿だが、死角どころかまったく目に見えない大気にさえもアメリカの力が及んでいることになる。
日米合同委員会が開かれるニューサンノー
残る「ニューサンノー米軍センター」とは、1946年(昭和21年)にアメリカに接収された「山王ホテル士官宿舎」の代替として1983年(昭和58年)に完成した施設である。
地上7階、地下1階の建物は、またの名を「ニュー山王ホテル」というように、米軍関係者に向けた会議・宿泊施設であるとともに、「日米合同委員会」の会場としても使われている。
高級住宅地として知られる広尾の駅から徒歩10分、フランス大使館と隣り合うというまさに都内の一等地、2191坪(7243平方m)が在日米軍に提供されている。
一般人が自由に出入りすることはできないが、米軍関係者の紹介があれば日本人でも入ることができる。実際、ウェブサイト上でホテルの紹介もされており、また、私自身も中に入ったことがある。
学生だった頃、アルバイト先のひとの友人に軍関係者がおり、このホテル内のレストランで鉄板焼きの会食をともにした。車で乗り付けるとゲートで入館チェックされ、施設に入ればレストランやささやかなカジノ(ストッロマシーン)があり、USドルで支払いがされたことを覚えている。
アメリカと日本を結ぶ目に見えないパイプ
軍事アナリストの小川和久は、「『在日米軍基地の7割超が沖縄に集中している』という言い方は間違い」という持論を展開している(GoHoo 2014年12月11日付「在日米軍基地の7割超が沖縄集中」は間違い」)。沖縄にある在日米軍基地の「7割」は「面積」のことであって、基地の「機能」の7割ではない、ということだ。
人間の身体にたとえれば沖縄に置かれた米軍基地は強力な筋肉の性格なのに対して、本州、九州に置かれているのは頭脳、心臓、肝臓、中枢神経といった機能です。(上記サイトより)
基地といっても役割は様々。東京に配された米軍基地は、いわば日米安保を司る「頭脳」にあたるのかもしれない。まるで神経のように、アメリカと日本を結ぶパイプが目に見えない線となり、首都圏のそこかしこに張り巡らされている。これもまたひとつの「死角」ではなかろうか。■ bg
*【2016年11月23日追加更新】由木通信所については、本記事公開後の2016年7月1日に日本に返還された(由木通信所(長池公園内にある元米軍施設))。
はじめまして。横田基地・立川基地について歴史から現状まで関心を持っている者です。
貴殿の記事、たまたま検索中に見つけて、興味深く読ませていただきました。
本文とさほど関係ありませんが、東京の米軍基地一覧ですが、今年の7月1日に由木通信所は日本政府に返還されています。返還後の施設も時間があれば、見に行きたいと思っているのですが、、、、
コメントありがとうございます。
ご指摘いただいた由木通信所の返還については、記事内で追加更新させていただきました。
横田や立川、厚木や横須賀、六本木ヘリポートや府中通信施設など、東京近郊の在日米軍施設に足を運びましたが、現地で感じる「空気」には、文献で得られる知識を補足する情報が含まれていると思います。
特に印象に残っているのは立川の砂川地区。現在に至るまで様々な過程があったのでしょうが、基地拡張に反対していた往時の「念」のようなものが今もあります。
あと府中通信施設の廃墟やパラボラアンテナは、視覚的にかなりインパクトがありますね。見た瞬間にちょっとギョッとしました。