恋は、遠い日の花火ではない。〜30年もののウイスキー(のCM)を味わう〜

「課長の背中見るの、好きなんです。」

「恋は、遠い日の花火ではない。」というコピーのテレビCMが流されたのは、ちょうど30年前の1994年のこと。
サントリーのウイスキー「オールド」のそれだった。

10年ひと昔というが、あれから“さん昔”もの年月が経ったかと思うと軽い眩暈すら覚える。当時20歳の若造だった自分も、生誕半世紀を迎えるのだ。

いくつかあるバージョンのなかでも、とりわけ印象に残っているのが、長塚京三が課長に扮する「課長の背中見てていいですか篇(勝手に命名)」だ。

恋は、遠い日の花火ではない。
サントリーNEWオールド「恋は、遠い日の花火ではない。」

「課長の背中見るの、好きなんです。しばらく見てていいですか?」
若い女性の部下からの突然の“告白”に、壮年の課長は動揺を隠せない。
「やめろよ」と強がってみせるのが精一杯の彼は、彼女を置いて歩き始める。

しばらくして振り返ると、彼女はもういない。
ホッとしたのか、寂しく思ったのか。
再び歩き出した男が「イェイ!」と飛び上がって小躍りすることで、胸の内が示される。
そんなCMだった。

これ、ご同輩ならよく理解できるだろう。
こんな夢のような言葉をかけられたら、天にも昇る心地になるということを。

「恋は、遠い日の花火ではない。」
30年もののウイスキーのCMの、芳醇なまでの味わいに、心から酔いしれてしまうのだった。

長塚京三の“課長篇”に加え、田中裕子の女性バージョンもあった。バックに流れる音楽は、小林亜星による「サントリー・オールド」のCMソング『夜がくる』。人生の黄昏時、心の中にも灯がともるということか。

団塊の世代への応援歌

この名コピーを世に送り出した小野田隆雄による『職業、コピーライター〜広告とコピーをめぐる追憶 SINCE 1966〜1995』を手に取ってみた。

1966年に資生堂宣伝部に入って以来、ずっと広告畑を歩んできた彼の作品や想いが詰まった1冊のうち、「恋は、遠い日の花火ではない。」のエピソードについては最終章で綴られている。

職業、コピーライター
小野田隆雄著『職業、コピーライター〜広告とコピーをめぐる追憶 SINCE 1966〜1995』(撮影=bg)

このCMがつくられた1990年代の前半といえば、バブルが弾け、それまで右肩上がりだった経済成長が終焉を迎えた頃。
かたや広告主のサントリーの主力商品であるウイスキーの販売にも陰りが見えていた。
ウイスキー市場を支えていたのは、団塊の世代前後の、昭和を生きてきた“戦士たち”。
メーカーも消費者も、それぞれが曲がり角に立っているような状況だった。

そうした背景から、「NEWオールド」のCMは、団塊の世代への応援歌として企画された。

心模様が同じというわけにはいかない

前掲書には、名コピーが誕生するまでの紆余曲折が記されている。
なかでも企画段階の議論の内容が興味深かった。

いったい、ターゲットである団塊の世代は、どんなことに共感するのか。

「彼等がいまいちばん欲しいことって何だろう?金ですか?出世ですか?」
「どっちも欲しいだろうけど、どっちでもなさそうに思う。もっと、心の底から熱くなれる何かが欲しいのではないだろうか」
そんな会話が交された。
「恋がしたいねえ」
みんなで笑いながら言った。けれど、かなり本音でもあった。(本書225ページ)

いい年して恋がしたいのか?とみな自嘲気味に笑ってはみるものの、結婚していようが独身だろうが、いくつになろうが、恋という魔法の言葉には抗えない。現場の空気感が、妙にリアルに伝わってきた。

一方で、ウイスキー自体の人気が落ちているのだから、たんに「新発売」だけでは弱い。
商品性云々ではなく、感情に訴える言葉が求められた。

「元気を出してください。あなたの良さは、みんな知っています。今夜は、ゆっくり新しいオールドの水割りでも飲んでください。楽しい夢が、夢でなくなる日は来ます。まだまだ、あなたの時間はあります」(本書227ページ)

若ければ、「がんばれ」と一声かけるだけで乗り切れるかもしれない。
だが人生の艱難辛苦を知る壮年には、もっと深みのある、生き甲斐を感じさせるような言葉が必要になる。

同じ恋であっても、若い頃とは心模様がまったく同じというわけにはいかない。
それが壮年(もう少し一般的でくたびれた言い方をすれば「中年」)というものなのだ。

人生は薔薇色ではないかもしれないが

CM自体に話を戻す。

長塚が演じた課長が既婚者なのか、あるいは年の離れた男女の行く末がどうなったのかは語られない。
しかし、仮に男に恋心が芽生えたとしても、男がその恋の成就に向かってまっしぐらに進むとは、思えないのだ。

何故なら、もし恋が成就したら、それではCMを見ていた多くの同輩にとって、あまりに非現実的になってしまうからだ。そんな夢のようなことは、残念ながら滅多に起きないことを、みな知っている。それでは、共感を得られなくなるではないか。

女が向けてくれた自分への眼差しで、男はかすかな、しかしこの先の彼の歩みを確かなものにする「力」をもらった。
それだけで十分なんだよね、というメッセージが隠されているからこそ、あのCMは30年経っても見るものの(特に中年諸氏の、つまりはいまの自分自身の)心を打つのだ。

CMには、田中裕子による女性バージョンもある。

「恋は、遠い日の花火ではない。」
人生は薔薇色ではないかもしれないが、まんざらでもない。あなたを見ているひとが、そこにいる限り。人生の妙味が詰まった名コピーに、男も女も励まされるのである。

■bg

reference

小野田隆雄『職業、コピーライター〜広告とコピーをめぐる追憶 SINCE 1966〜1995』

サントリー不朽の広告作品

bg

1974年生まれ。都下在住。生きるということは「世界の解釈」、そのひとをそのひとたらしめるのは、その「世界の切り取り方」にあると思います。

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