「ロードマン」に育てられた

2000年から17年間付き合った我が人生最初にして最後のMTB「SUNN NEURO」。アルミフレームに前後サスペンションを備えた、同ブランドの上級MTBモデルの1つだった。(2017年/撮影=bg)

2000年から17年間付き合った我が人生最初にして最後のMTB「SUNN NEURO」。アルミフレームに前後サスペンションを備えた、同ブランドの上級MTBモデルの1つだった。(2017年/撮影=bg)

人生で一番、乗っていた自転車

「クロモリ・カンパ・オーダーメイド」。私が子供の頃、つまり1980年代の、ロードバイクと呼ばれる前のスポーツ自転車といえば、フレームの素材は硬くしっかりとしたクロムモリブデン鋼(クロモリ)であり、憧れのコンポーネントといえばイタリアの雄、カンパニョーロ(カンパ)で、究極の夢は世界に1台しかないオーダーメイド自転車だった。

そしてあの時代、日本のスポーツ自転車界に多大な影響を与えていたのが、「ブリヂストン・ロードマン」だった。

1974年、つまり私と同じ年に誕生したロードマンは、スポーツ車の魅力を比較的低価格で味わえ、かつ様々なパーツでカスタマイズができるという、自転車好き青少年向けによく練られた商品として大ヒット。20年を超えるロングセラーとなり、累計で150万台が販売されたほどの人気を誇った(Cyclist「“ミスター・ロードマン”が語る累計販売150万台の秘密 ブリヂストンサイクル渡部裕雄さんインタビュー」2015年1月30日付)。

御多分に洩れず、私もロードマンのオーナーだった。1987年、ちょうど中学校に入学した年に、穴が開くぐらいカタログを凝視し選んだモデルが、フロントに遊星ギアを組み合わせたユニークな「F4」という機構を組み込んだ「ロードマン・コルモF4」。中坊にはやや背伸びが必要な6万円程度の価格だった。白いクロモリのフレームはきれいなホリゾンタル(トップチューブが地面と平行しているカタチ)で、ダウンチューブからはニョキっとWシフトレバーが生えていた。ブレーキレバーにシフト機能を追加した、いまでは当たり前となったデュアルコントロールレバー前夜の話だ。

この自転車との付き合いは学生だった20代前半ぐらいまで続き、その間に近郊のあちこちをまわった。単身で都下の実家から多摩川を下り、川崎でフェリーに乗って東京湾を渡り木更津へ。そこから房総半島を南下し館山まで行ったのは20歳の頃。また都内各所の友人宅を拠点に、都心、郊外、山岳と数日にわたって各エリアを巡る“なんちゃってツール・ド・フランス”を企画したりもした。時間も自由だったこの頃、サドルに跨る頻度からしたら、人生で一番多かった時期かもしれない。

21世紀の今日になっても、ネットの海を探せば、当時の自転車少年が中古のロードマンを買いレストアして楽しんでいる、そんなブログを見かける。私を含め、「ロードマンに育てられた」という中高年は多いと思う。

MTBに横恋慕

就職してから新たに国内メーカーのロードバイクを買ったものの、この自転車、いまとなっては名前すら覚えていないし、乗る機会もそれほど多くはなかった。自転車と疎遠になったのは、移動の足が自動車に移ったこともあったが、たぶん、その自転車があまり気に入らなかったのだと思う。「気に入る」とは、実はとても大切な心理の状態である。

ロードバイク派を自認していたものの、MTBが持つ抜群の走破性能に惚れ込むことに。リアにはエアサスペンションを備えていた。(2000年/撮影=bg)

ロードバイク派を自認していたものの、MTBが持つ抜群の走破性能に惚れ込むことに。リアにはエアサスペンションを備えていた。(2000年/撮影=bg)

そんな倦怠期に突入していた折、「これは!」という自転車と出会うことになる。当時勤めていた会社の近くで偶然見かけ、たまたま隣にいた自転車に明るい同僚に「あれはどこの自転車?」と聞いたのがことのはじまり。もともとロードバイク派を自認していたものの、逞しい体躯に太いタイヤ、街乗りに長けたMTBに横恋慕してしまったのである。時は西暦2000年のことだった。

マイ・ファースト(&いまのところオンリー)MTBとなったのは、フランスの「SUNN」というメーカーの「NEURO」というモデル。22万8000円とそれなりプライスタグを付けていたが、独身生活を謳歌していた20代半ばの自分には大した出費ではなく、即決で買った。嗚呼、我ながら羨ましい身分だ。。。

カタログに「7005」とあることからもフレームはアルミニウム製。カーボンが全盛となる前、当時はそれだけでも「軽いぞ!」と気を良くしていた。車重は12.6kgと、まあ、そんなに軽くもなかったが。 サスペンションを前後に備えたフルサス仕様で、ハードテイルと呼ばれる前輪だけのモデルと比べ、悪路走破性も高い。しかもリアはエアサスときた。空気充填用の専用ポンプが必要ということで買いにいったら、単機能のくせに数千円もしたことには驚いた。主要なパーツはSRAMだった。

街で転がすには、MTBは至極便利な乗り物だった。歩道も車道も段差もマンホールも太っといタイヤとしなるサスペンションで難なく越えられるし、フラットなハンドルだから姿勢も起きてとっつきやすい。さらにホワイト&ブラックのルックスはカッコ良く、SUNNという非メジャー系メーカーのバイクということもあって、心底惚れ込むこととなった(その後SUNNは破産し、経営再建の道を歩むことになる)。

古女房がまさかの……

「SUNN NEURO」(写真奥)を駆り、友人とサイクリングへ。東京湾や周辺河川を行き来する水上バスを使って都内を巡った。(2001年/撮影=bg)

「SUNN NEURO」(写真奥)を駆り、友人とサイクリングへ。東京湾や周辺河川を行き来する水上バスを使って都内を巡った。(2001年/撮影=bg)

自動車と違い、自転車はかろうじて家のなかで保管できる乗り物。溺愛していたNEUROも、当初から狭小住宅の一等地を寝床としていたのだが、そんなヌクヌクとした生活は、しかし、長くは続かなかった。結婚すると徐々に乗る機会が減り、家の片隅で埃をかぶるようになる。そして子供の誕生をきっかけに、いよいよ庭先に放り出された。日常的に視界に入らなくなると、興味もだんだん薄れるもの。いつしか風でカバーが取れて雨ざらしになっても気にならなくなってしまった。

購入から17年経った2017年。タイヤはボロボロ、サドルは破け、サビも目立ってきた。そんな古女房を見て「あれ、オレお前のこと好きで一緒になったんじゃなかったっけ?」と居心地の悪さを覚えた。自転車も、あるいは夫婦も、経年でその姿や関係性は変わっていくものだけど、心が離れ過ぎたらおしまいである。

自転車との第2の倦怠期を抜け出そうと、サビを落とし、タイヤを新調。庭先でタイヤ交換をしていると、幼き頃に宿した自転車熱がポッと心に蘇ってきて何だか嬉しくなった。

サビサビ、ボロボロになった「SUNN NEURO」をメンテナンス中、衝撃の事実が。。。(2017年/撮影=bg)

サビサビ、ボロボロになった「SUNN NEURO」をメンテナンス中、衝撃の事実が。。。(2017年/撮影=bg)

真っ黒な新品タイヤで精悍さを取り戻した我が愛車。近所の公園に向かって走ってみれば気分は最高潮。今度はサドルもチェーンも替え、ギアもちゃんと整備しよう、と前向きな気持ちでペダルを漕いでいると、車体から奇妙な「揺れ」を感じた。自分がバランスを崩したのかと思っていたが、帰宅後に車体を磨いていたら、驚愕の事実が判明することとなる。

フレームの一部に、亀裂が入っていたのだ。

リアサスを可動させるために、NEUROのフレームは2つに分かれている。リアタイヤが付く後ろ側のフレームの根元にクラックが入っていた。走行中に亀裂が広がれば危険極まりない。ダメモトで自転車屋に相談したものの、交換する部品はないとの言葉しか返ってこなかった。

何ということだ。。。
ショックでその晩は眠れなかった。

しかし次の日になると、まったく別の方向に考えが及んでいた。

新車は何にしようか、と。

自転車のない生活なんてあり得ない、と気づいてしまったのだ(決して薄情なわけではない。念のため)。

No bike, no life。
ならば新しい伴侶は、何がいいか?
ロードバイクへの回帰の想いが、一気に高まった。■ bg

bg

1974年生まれ。都下在住。生きるということは「世界の解釈」、そのひとをそのひとたらしめるのは、その「世界の切り取り方」にあると思います。

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