17万6400円も何に使ったのかという問い、いやむしろ目覚め ~ さよなら、憧れのクレジットカード ~
幼少期の憧れ
子供の頃に憧れた大人の持ち物が2つあった。
ひとつは「アタッシェケース」。記憶は曖昧だが「秘密のアタッシュケース」という名前のおもちゃが欲しくてしょうがなかった。モデルガンやスパイ道具のような玩具を詰め込んだケースに、こんな頼れる道具(というかおもちゃ)を持っていろんな場所に行ってみたい、というささやかな冒険心も入っていたように思う。
大学を卒業した時、本物のアタッシェを手に入れた。バイト先の太っ腹な上司が卒業を祝ってゼロハリバートンのアルミケースを新調してくれたのだ。シルバーに輝く、かたくて、何かと融通の利かないアルミの箱。さて何を入れて持ち歩こうかという高揚感は、子供の時に抱いた気持ちと変わらなかった。
もうひとつの憧れのものは「クレジットカード」、それもただのカードではなく「アメリカン・エキスプレス」に限定されていた。きっかけはジャック・ニクラウスのあの有名なCMだった。
アメックスだった理由
憧れのアメックス・ホルダー(プロパー)になれたのは、社会人として働きはじめて1年経った26歳の時。以来13年間、何かと使い勝手のよろしくないカードをメインとして使い続けてきた(アメックスが利用できない店やサービスは少なくない)。妻との8年間の結婚生活よりも、3歳の息子よりも付き合いは長く、ゼロハリに次ぐぐらいの長期政権となる。
なぜアメックスに惹かれたのか? その最大の理由は子供の頃と同じ。すなわち、旅行好きだからとかサービスがいいからとかいう実利とはまったく関係なく、ひとえにカードのデザインにある。
まずはおなじみ、両面ともグリーンを基調とした美しいカラーリングだ。基本カードの緑でなければダメ、ゴールドはギラギラし過ぎてNG、プラチナやセンチュリオンは、まあもちろん持てないから論外とする。
さらに、誇らしげに書かれる「AMERICAN EXPRESS」の文字がオーナー心をくすぐる。そしてこの金融会社を象徴するローマ時代の剣闘士(Roman Gladiator)の勇ましい姿。一般的なカードより1桁少ない15桁のカード番号の下には、「MEMBER SINCE 00」とメンバーシップの長さを意識させる情報まで載っており、ブランドロイヤルティがまたアップ。ついでにいれば、カードの素材自体も他と比べるとしっかりしているような感触を受ける。
クレジットカードは小さな面積に様々な情報を載せなければならず、しかも文字やロゴなどの色カタチサイズにはちゃんとした決まりがある。ゆえに意匠を凝らすことは難しく、しかもそもそもがデザインで選ぶようなものでもないため、だいたい見栄えはよろしくない。一目瞭然のアメックスは異色の存在である。
そんなカードを羨望の眼差しでみていた生意気な少年は、その美しく輝く券面に、まだ遠い大人という世界を重ねていたのかもしれない。というと幼少期を美化し過ぎ。とにかくカッコがいいのだ。
それだけ惚れ込んだアメックスだが、そろそろ別れようと思うようになった。
若さ故の“こだわり”という名の突っ張り
人も不惑の年を目前に控えれば、いろいろとその先のことを考えるものである。しかもそれなりに人生の経験を積み、自分の家族を持ち、公私にわたってある種の責任から逃れることができなくなるようになれば、軽はずみなことを避けたくなる。
お前も小さく縮こまったことを言うな。
けっきょく、無難な道を進みたいってことだろう?
スポーツカーじゃなくてミニバンだろ?
これでまた、つまらん大人が社会に増えたことになるんだな。
と、うちなる自分に横目で睨まれているような感じがしないわけではない。
まあ、その通りかもしれないよ。
でもね、そんな“こだわり”という名の突っ張りは、やはり若さ故のものなんだよ。
おろしたてのスニーカーが白すぎて恥ずかしい思いをすると言うだろう?
いつまでも腐らない食品は食い物だと思うか?
尖った石も川の流れで角が取れて丸くなるのさ。
つまり意志も丸くなるってことだよ。
と、これまた訳知り顔の自分がいう。
人生のプライオリティがシフトする時
アメックスを解約しようと思ったのは、1万2600円(税込み)の年会費を払うのが「バカバカしい」と感じるようになったからである。
とまあ、我ながら拍子抜け間違いなしの理由である。しかしこれまでそんなケチ臭いことは思ってもみなかったのも事実だ。
14年間で17万6400円(税込み)を、年会費という「資格維持費用」にのみ払ってみて思ったのは、「このカネは、いったい何に使ったのか」というある種の空しさだった。
アメックスのデザインは素晴らしい。しかし、その素晴らしいデザインだけのために、いってみれば自己満足のために、コストをかぶり続けることに意味が感じられなくなった。
考えてみれば、若い頃は自分のことでいっぱいだった。
何を買うか、何をするか、どこに行くか、誰と会うか。
すべての行動の発端には「自分」があった。
その自分中心のプライオリティ(優先度)のつけ方が、最近、着実に変わってきていると思うようになった。
きっかけは、やはり息子が生まれたことだろう。
これは、いい大人同士の「結婚」というライフイベントとはまったく違う、人生の新しいフェーズだった。
他人(子供)の人生に自分が大きく関与せざるを得ないという状況で、すべて自分を優先させることは無理だし、そもそも優先順位を子供や家族にシフトしたくなる。
これは何もアメックスの件だけでなく、所有する車や旅行先の選定や休日の過ごし方など、生活全般にわたる変化である。
「こだわり」というものは、煎じ詰めれば、閉じられた空間での独り言である。
他人にはどうでもいいことだし、むしろ迷惑になることすらある。
振り返れば、独り言をずいぶんと吐いてきた。
もうそろそろ、それも終わりにしていい年なのかもしれない。
なんていう遅知恵をブログで吐露するのははばかれる。
せいぜい頑丈なアルミケースにしまっておくべきだった。■ bg