家族とは厄介で面倒なもの

なぜ結婚したいの?

かつて同僚だった、40歳目前の未婚の女性と4年ぶりぐらいに話をした。
ややトゲのある紹介だが、事実だから仕方がない。

彼女は結婚したいと願っている。
結婚に至らない理由を問えば「いい出会いがない」。
結婚に進展する前の、恋に落ちるという機会もないのだという。
トゲがあるようだが、話を要約すればそういうことなのである。

私自身の話をすれば、30歳で結婚した。
40歳までは結婚しなくてもいいと思っていたけど、
とんとんと弾みで、知り合ってから8ヵ月程度で籍を入れた。
もともと自分のなかで結婚願望が希薄だったこと、
また当初の結婚予定(?)だった40歳が近づいてきたこともあり、
純粋にこの年齢での結婚観について知りたいところだった。

なぜ結婚したいの?
40歳目前の未婚の女性にたずねてみた。
彼女の答えは、こうだった。

ひとりで暮らしていると、
それは気楽だしやりたいことをやりたい時にできるけど、
生活に張り合いがなくなる。
すべてが自分の自由にできてしまうことに、
既婚者はうらやましがるけど、
私生活で、誰か違う人とぶつかったり、
逆に合わせるということがないことに
焦りのようなものを感じている。

彼女のいまおかれているひとりの生活は、
時間もおカネも住環境も、
妻と息子と3人で共有する生き方に慣れてしまった自分には
たしかにうらやましいところもある。

なぜ家族でい続けるのか。

40歳目前の未婚の女性を前にして、
結婚の奥にある、家族・家庭という営みについて、考えざるを得なかった。

誰かが病気になる、怪我をした、ボケた、寝たきりになった、あるいは生まれた、亡くなった。
進学、受験、留年、就職、結婚、離婚、解雇、転職、はたまた遺産相続、住宅購入、転勤、転校。
仲がいい、犬猿の仲である、ずっと疎遠である、いつも顔を合わせている、ケンカばかりしている。
配偶者の何気ない仕草や言動が気に入らない、イライラする。
子供の成長に喜ぶ、嫁に出る娘の姿に涙する、テレビ番組に爆笑する。
娘がなかなか結婚しない、息子が2つ目のバツをつけた。
配偶者の家族との付き合い、冠婚葬祭、盆暮れの帰省、嫁姑、エトセトラ。

無関係を装えば文句を言われ信頼をなくし、
善かれと思っていることが通じないこともある。
所帯を持って感じたことは、家族とは、かくも厄介で面倒な関係だということだった。

会社の同僚のほとんどは既婚者だ。
男性陣が集まれば、口をつくのは家族のこと。
しかも家人の悪口や子育てでの苦労話、
小遣いの額の少なさなど、
かなり所帯染みた会話がなされたりする。
日々の鬱憤が集まり、増幅し、場の空気が熱を帯びる。
「いや、うちのカミサンは自分のこと棚に上げといて酷いんだよ……」

しかしそこに望みのない「やるせなさ」はない。
いってみれば、愚痴のカタチをした「のろけ話」の一種である。

家庭を持つもの(同性同士ならなおさら)なら理解できる、
ありふれた生活というものがそこにはある。
何かと厄介で面倒で自由がきかないのに、
なぜ家族でい続けるのか。

「一度は結婚してみるのもいいぞ」

もし厄介な友達がいたら、本当にイヤなら距離をおけばいい。
会社での問題なら、最後には転職すればいい。
近所の人とのいざこざなら、とっとと引っ越してしまえばいい。

ただ、家族はなかなか、そうはいかない。
仮に勘当を切ったとしても、それはそれで目にはみえない関係は残る。
仮に離婚したとしても「前の奥さん(との子供)」という立場の「元家族」だ。

20代も後半の頃、
我が父はたまに、
「一度は結婚してみるのもいいぞ」
と話を振ってくることがあった。

父の言葉が、結婚へ背中を押したということは、ない。
ただ、結婚して何年かたち、子供が生まれ、自分が年を取ってくると、
だんだんと彼の意味することが何だったのか、
その感触が得られてきているような気がする。

家族は厄介で面倒なものだ。
ただ、家族が厄介で面倒だということを知ることは、
悪いことではない。
そもそも、人間がふたり以上いれば厄介なことが起きる。
その厄介を無視することは、
人間という営み自体を無視することになってしまう。

40歳目前の未婚の独身の女性に、
「本当に旦那が面倒くさい」
と言える日がきますように。■ bg

bg

1974年生まれ。都下在住。生きるということは「世界の解釈」、そのひとをそのひとたらしめるのは、その「世界の切り取り方」にあると思います。

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