イメージに、頼る社会で、リツイート 〜 丸山眞男『日本の思想』を読んで 〜

ツイッターは「イメージ」でつながり、「イメージ」で敵をつくる

ツイッターで他人と議論できる人は、つくづく器用だと思う。
140字(ずつ)の発言で持論をまとめそれを伝え、また相手の主旨を的確に拾わなければならないのだから。しかも相手の素性は不確かなことも多く、だいたい独り善がりなプロフィール文と何だか分からないアイコン、そして断片的に発されるツイートやリツイートしか先方を知る手がかりがない。
様々な人たちが何かを言い合ったりしているが、往々にして議論は噛み合わない。相手を知らないことが、そして自分をさらけ出す必要がない前提が、罵り合いや主張の押しつけにつながる。
いや、議論のみならず、フォローする・されるという関係性自体にも、程度の差こそあれ、持論の押しつけや思い込みが宿っている。

よく分からない人同士のコミュニケーションで駆使される能力、それは相手に対して何らかの「イメージを持つ」ことである。

例えば“脱原発”ってプロフィールに書いてあるから、自分と志が同じであろうという「イメージ」でフォローする。よくあることだが、良くも悪くも、ずいぶんと大雑把な把握でつながれるものだと思う。
もちろん“敵”も同様の緩い審査でつくられていくわけだ。

人は様々なイメージを投入して、人や会社や集団や国や民族といった相手を“想像(or 創造)”しているところがある。
その「イメージ」とはどんな働きがあるのか。その問いへの答えのひとつが、丸山眞男が著した『日本の思想』に書かれていた。

丸山眞男『日本の思想』

イメージとは「人間が自分の環境に対して適応するために作る潤滑油の一種」

この日本思想史界の巨人の名著は4つの章で構成されるが、このうち3つ目の「思想のあり方について」に、以下のようなくだりがある。

われわれが作るいろいろなイメージというものは、簡単に申しますと、人間が自分の環境に対して適応するために作る潤滑油の一種だろうと思うのです。
つまり、自分が環境から急激なショックを受けないように、あらかじめ個々の人間について、あるいはある集団、ある制度、ある民族について、それぞれイメージを作り、それを頼りに思考し行動するのであります。
(124ページ)

なるほど。相手をよく知ろうが知るまいが、イメージは我々の生活のあらゆるシーンで多用されているということなのだ。
現に「相手を知ること」自体もある種のイメージといえる。たとえ毎日顔をあわせる家族や同僚だって、知らないことはたくさんある。そもそも何をもって「知る」なのかをその都度問えば、あなたの人生におけるコミュニケーションは1ミリも前進しないだろう。

我々は、潤滑油としてのイメージを頼りに、過大な負荷や時間の消費を回避しながら、人や社会とかかわり合う。そしてそのイメージと目の前の事象に乖離があれば適宜補正し、適応していく。ある意味、とても効率よくできている。

イメージの“モンスター化”

ただこのイメージだが、大きな問題をはらんでいる。
イメージが自己肥大化し、現実をも駆逐してしまうという可能性だ。
いってみれば、イメージの“モンスター化”である。

ところが、われわれの日常生活の視野に入る世界の範囲が、現代のようにだんだん広くなるにつれて、われわれの環境はますます多様になり、それだけに直接手のとどかない問題について判断し、直接接触しない人間や集団のうごき方、行動様式に対して、われわれが予測あるいは期待を下しながら、行動せざるをえなくなってくる。つまりそれだけわれわれがイメージに頼りながら行動せざるをえなくなってくる。
<中略>
イメージと現実がどこまでくい違っているか、どこまで合ってるかということを、われわれが自分で感覚的に確かめることができない。
(125ページ)

いまや老いも若きも情報の海を泳がなくては生きていけない。
行ったこともない場所や国のこと、あるいはまだ起きていない未来のシナリオに接することも容易な世の中にいる。
しかし、いったい個人として、どれだけの確証を持ってこれらの情報に触れ、消費し、流布しているというのか。

本当にそれが合っているのかという確認

自己のイメージと現実の補正には、これまで得られた知見が活用される。
例えば科学的な事実であったり疫学的な統計であったり、メディアなどの報道であったり、経験から導き出される方法であったり、あるいは都市伝説的な言い伝えであったり宗教的な教えであったりする。

それらは一見すると(自分のなかでは)“事実”として捉えられているかもしれないが、本当にそれが合っているのかという確認すらできないことは多々ある。

ただちに影響はないなら未来に影響はあるのか?
放射性物質は基準値内なら食べても大丈夫なのか?
本当に中国人は厚顔無恥なのか?
日本人はみな勤勉なのか?
在日朝鮮人・韓国人はみな極悪非道なのか?
マスゴミは本当に信用するに値しないのか?
御用学者の心中はやましさで溢れているのか?
左翼はやはりクソなのか?

タイムラインを騒がせる事象にしたって、その発言者やリツイートする人がどこまで深く考え、また検証しているか、分かったものではない。

つながっているはずなのに分断されている

ツイッターは様々な人の側面がうかがえる興味深いメディアだ。
ただ、無数にある140字(内)の発言がイメージという化け物にみえる時、妙な疲労感に苛まれることもある。

イメージとは潤滑油だと丸山はいったが、その延長線上には、相手を慮るということ、つまりは思慮というものが控えていないと、何ともまあ、ギスギスした世の中になってしまわないだろうか。

イメージを欠くコミュニケーションは何かと摩擦と負荷を生じさせる。
とはいえ、イメージだらけの世界が軋轢と無縁である保証はない。

多くの人が簡単につながれるようになった今、イメージは増殖のスピードをいよいよ高め、一方でそれぞれのアタマのなかにある虚像と現実とがかけ離れていく。つながっているはずなのに分断されているという、矛盾した空間を露呈しているように思える。

ツイッターやネットを通じて得られる情報は玉石混交、多種多様、しかもそれらの取捨選択は選者にゆだねられる。
そんな情報に日々接触を続ければ、「自分こそその道を知るものだ」という意識が芽生えてもなんら不思議はない。

そう考えると、裸の王様はまだ幸せな方だと思う。
服を着ていない様は一目瞭然、誰もが気づくことだから。
「イメージの服」はもともと目にみえない。
自分自身も、まわりも、それを自覚することが難しい。
着膨れて不格好になっているかなんて、鏡は教えてくれない。
困ったものだ。

イメージの壁を厚くする日本独特の「タコツボ型社会」

だいぶ脇道にそれてしまったが、本章のキモは、日本にはイメージという“化け物”が横行する素地が揃っているという指摘にある。キーワードは「タコツボ型の社会」だ。

鎖国が解けた日本は、ヨーロッパから多くの近代的システムを取り入れることになる。この19世紀後半という時期は、かの地では社会組織上、また文化形態からも「分業とスペシャリゼーション」が急速に進んだ時代だったのだが、日本にはその専門化されたカタチとして様々な学問や仕組み(法律、政治、経済、心理など)が“そのまま”移入されてきた。

ヨーロッパでの現象は、分業・専門化以前のプロセスを経ていた。19世紀前半、ヘーゲルやシュタイン、マルクスといった知の巨人たちが取り組んだ学問はより包括的、総合的な体系で、つまりはその後に控える分業・専門化は、各事象の根っこに「共通の基盤」があったことになる。

だが、舶来物を輸入しただけの日本には、共有できるものがなかった。こうして極めて専門的かつ閉鎖的で、他の組織との連携を持たない「タコツボ型の社会」の礎ができあがっていき、そして今もなお、官庁や企業、教育機関といった近代的組織においてもその文脈は生き続けているという。

共通の基盤がないのだから、まともな議論は難しい。例えば「インテリ」と呼ばれる人間の素養について、めいめいが勝手なイメージのなかで語っていたら話の終着点はみえない。

閉鎖的な組織は、内(インズ)と外(アウツ)に峻別され、それはとめどなく細分化され、そして交わることがない。やがて組織のなかでのみ通用する言語や考え方が生じ、ますます別組織との断絶が深まり、内向きの言葉が外で通用するか否かを検証することすら行われず、いよいよ「イメージの壁」は高くなるというわけだ。

もちろん、日本独特の組織のあり方がすべて上記で説明できるわけではない。古来からの「無構造」の伝統に由来する日本の思想について、あるいは、日本はより流動的な「何をするか」という社会ではなく、〜らしさという言葉に表れる「何であるか」に価値判断の基準を置くという論考など、自分たちが住む日本の内面に迫る、非常に興味深い一冊である。
特に本章にある「日本のマスコミがタコツボ型社会で果たしてきた役割」などは、マスゴミ論者にはご一読いただきたいところだ。

なお、本章「思想のあり方について」のもとになった講演の記録は、なんと昭和32年(1957年)に出版されている。実に56年も前に、丸山はかような鋭い論評を発表していたという事実には驚くばかり。逆を言えば、イメージの壁という問題は決して新しい問題ではないのである。■ bg

 

日本の思想
丸山眞男 著
岩波新書
定価(本体700円+税)

bg

1974年生まれ。都下在住。生きるということは「世界の解釈」、そのひとをそのひとたらしめるのは、その「世界の切り取り方」にあると思います。

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