bicycle blues─自転車生活を再開しようと思ったわけ─

ロックの殿堂(東京・有楽町)で行われた「ロックスター忌野清志郎展覧会」(2017年12月23日〜2018年1月28日)に展示された忌野清志郎の愛車、イギリスのギターアンプ「Orange」のロゴを許可を得て配しているのがポイントの「オレンジ号」。(撮影=bg)

ロックの殿堂(東京・有楽町)で行われた「ロックスター忌野清志郎展覧会」(2017年12月23日〜2018年1月28日)に展示された忌野清志郎の愛車、イギリスのギターアンプ「Orange」のロゴを許可を得て配しているのがポイントの「オレンジ号」。(撮影=bg)

 

操る楽しさと喜びの「対価」

1989年にデビューしてから日本のみならず各国でヒットし、「世界で一番売れた2座オープンスポーツカー」のギネス記録も残るマツダ・ロードスター(海外名:MX-5)。コンパクトで軽量なボディに扱いやすいエンジンを搭載したこのモデルは、巷の“ちょっと走り好き”なドライバーであっても車両を操る楽しさを存分に味わえるクルマとして多くの消費者の心を掴んだ。

人間と機械が織りなす、操る楽しさと喜びという価値の創出にあたり、メーカーが掲げた開発思想は「人馬一体」。誕生からおよそ30年、自動車の技術志向がエコ、そして自動運転へとシフトしているご時世にあって、このコンセプトにもだいぶ古めかしさが漂うようになってきたものの、いまでも現役車両として4代目が製造、販売され、高い評価を得ていることに変わりはない。

マツダの初代「ロードスター」(レース仕様)。世界で一番売れた2座オープンスポーツカーとしてギネスに記録が残っている。(撮影=bg)

マツダの初代「ロードスター」(レース仕様)。世界で一番売れた2座オープンスポーツカーとしてギネスに記録が残っている。(撮影=bg)

馬から自動車へ───。技術が長足の進歩を遂げ、人間そのものが持つ身体的能力は大幅に拡張されることになった。一方で、より速く、より遠くへといった人間の欲望は、公害や環境問題という社会的な要請の足かせををはめられるようになった。さらに近未来に向けては、真の「自動」車(auto-mobile)化、あるいは内燃機関から、高効率で静かな、そしていまのところやや味気ない、電動モーターへと軸足が移りつつある。

自動車は、一個人が所有できるプロダクトのなかでも突出して社会的なものだった。環境への影響はもちろん、交通、産業、経済、行政など各方面に関与せざるを得ない。操る楽しさ、喜びへの対価が、多面的に年々高くなってきているのは事実ではないだろうか。自動車は、その存在を社会のなかで広げるだけ広げ、もはや機敏な動きが取れなくなっているようにすら見える。

自転車は、ブルースだ

そんな自動車に比べると、一字違いの自転車は、ずっと自由な乗り物だ。

毎年高額な税金を払い続ける必要もなければ、有害なガスだって出やしない。自動車の購入と所有に不可欠なある種の「言い訳」(環境や低燃費、経済性、何人乗りなど)もそれほど気にする必要はない。

もちろん、これまでの自動車のような「操る楽しさ、喜び」は、自転車にだってちゃんと備わる。

そして、エンジンが乗り手自身だということも忘れてはならない。
自らの能力には縛られるが、その力は自分次第で上げることも夢じゃない。

そう、自転車には、自らの力で可能性を押し広げられるという「夢」があるのだ。

無類の自転車好きとして知られた故・忌野清志郎は、自転車への愛を詰め込んだ著書『サイクリング・ブルース』でこう綴っている。

自転車はブルースだ。
クルマや観光バスではわからない、
走る道すべてにブルースがあふれている。
楽しくて、つらくて、かっこいい。
憂うつで陽気で踊り出したくなるようなリズム。
子供にはわからない本物の音楽。
ブルースにはすべての可能性がふくまれている。
自転車はブルースだ。
底ぬけに明るく目的地まで運んでくれるぜ。

自転車をブルースにたとえるくだりは、いかにも清志郎らしい。アメリカ黒人文化を発祥とするブルース(blues)は哀歌であり、悲しみや孤独、つまりブルー(blue)な歴史や感情を歌で表現している。ブルースをベースに発展したジャズが楽器中心であるのに対し、ブルースは人間の声が主役の音楽だ。

自転車はブルース。
清志郎の放ったメッセージが、グサリと胸に刺さる。

自らの努力、体力だけで広げられるほど、この世界は甘くはない。
つらく、時として悲しみすら感じるからこそ、
そこを突き抜けた時に、前向きな、明るい力がみなぎるのだ。

自らペダルを漕がないと前に進まない。
路肩を走れば自動車の巻き上げる埃とガスを浴びる。
転べば怪我もする。
激坂に苦しみ、泣きそうになる。
ゴールできるか分からない不安に苛まれる。

それが自転車であり、すなわち人の人生というものだろ。
行間から、清志郎のそんな声が聞こえてきた。

バイシクル・ライフを再開しようと思ったわけ

「オレンジ号」は、フルオーダーのカーボンフレームにカンパニョーロ・レコードなどを組み合わせた贅沢な仕様。生前、清志郎はハワイ、キューバ、沖縄、東北などを自転車で巡った。(撮影=bg)

「オレンジ号」は、フルオーダーのカーボンフレームにカンパニョーロ・レコードなどを組み合わせた贅沢な仕様。生前、清志郎はハワイ、キューバ、沖縄、東北などを自転車で巡った。(撮影=bg)

そうか、自転車はブルースなんだ。
乗れば乗るほど骨身に沁みる、悲哀と喜び。
快適に速く、という世に蔓延る美辞麗句を剥がし、己とはという本質に根差そうとする姿勢。
頼れるのは自分だけという自己責任の念。
どれも青二才には分かるまい。

と訳知り顔で言う中年(つまり自分)は、何を隠そうかつて自転車少年だった。

ヘッドランプや電飾などを付けた「ジュニアスポーツ車」はおもちゃの延長線上にあったかもしれないが、やがて子供ながら自分の力で移動できる楽しさを理解しはじめた。
体力がつきはじめた青年期になると、河原のサイクリングロードを走り、何十kmと遠出もできるようになった。
それが、結婚すると自らの時間が制限され、子供が生まれるとサドルに跨る機会も徐々に減ることになった。

かつての自転車少年が、何故、四十を超えてバイシクル・ライフを再開しようと思ったのか。
カッコつけて言えば、そこに前に進もうとする意志があるから。
カネも時間も自由ではないが(←ここ重要!)、その先には、掛け値なしに開放されていく、あの気分が待ち構えているからだ。

自転車はブルース。
ようやく、その言葉の意味が理解できるようになってきたのかもしれない。

ということで、新しい自転車を手に入れた。
およそ20年ぶりのロードバイク。
2017年の夏の出来事だった。■bg

bg

1974年生まれ。都下在住。生きるということは「世界の解釈」、そのひとをそのひとたらしめるのは、その「世界の切り取り方」にあると思います。

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